様々な展開と進化を見せるAR体験は、企業間だけでなく、一般ユーザーにも浸透しつつあります。その体験をさらに加速させ、ユーザーを惹きつけるコンテンツを生むことが期待されている技術がARクラウドです。ARクラウドとはどのような技術なのでしょうか?その概要と今後の可能性についてご紹介します。
ARとは
ARとはAugmented Realityの略称で、日本語では拡張現実と訳されています。現実世界に対してデジタルの情報を付加できる技術を指し、デバイス通して体験することができます。ARは近未来的な映像作品などにもよく登場するもので、人が効率的にデジタルにアクセスするための手法として古くからイメージされてきました。しかし、その実現には軽量かつ高性能なデバイスや情報処理方法などが必要であったため、実践的なARが登場しはじめたのはここ数年のことです。ARに関わるハードウェア、ソフトウェアの開発は大手からベンチャーまで多様な企業が挑戦しています。有名なプロダクトやサービスは中国や米国のものが台頭していますが、一部の日本企業も同分野での開発を進めています。ARはエンターテインメント領域での新しい体験を生み出すだけでなく、ビジネス面では産業現場での業務効率化などに寄与するものとして注目されはじめています。AR技術を自社のコンテンツや業務プロセスに組み込む事例も増えつつあり、今後ますますARの可能性は広がるでしょう。
ARのトレンド
ARは先述したように、早くからイメージが先行していた技術とも言えます。現実世界にデジタルな情報が次々と登場し、それをユーザーが自在に操りながら、誰かとその体験をシェアするような描写が映画やマンガなどで登場していたため、ARと言えばそういった技術がすべて叶えられると考えるひとも多いのが事実です。しかし、実際のAR技術は急激というよりは少しずつ着実に進歩してきました。これまでAR技術を活用した事例として頻繁に挙げられているのは、スマートフォンのゲームアプリや、インテリアのシミュレーションを行なうアプリです。デバイスのカメラ機能を用いて周囲の環境を捉えることで、そこに架空のオブジェクトを設置したり、現実には存在しないものを登場させたりする。これがユーザーが享受できるAR技術でした。
2013年にグーグルがGoogle Glassを発売して以降、ARを楽しめるARグラスの開発競争が徐々に激しくなりつつあります。マイクロソフトのHoloLensを代表に、巨額の資金調達を成功させたMagic Leap Oneや、中国発の一般ユーザー向けARグラスNrealLightなど、様々なブランドがAR体験を楽しめるウェアラブルデバイスとして登場しつつあります。ユーザーはARグラスが発展することで、両手をあけた状態でAR体験を楽しむことができるようになります。これは、私たちがもともとイメージしていた体験とより近いものでしょう。また、視線の移動をトラッキングしたり、素早い周囲のスキャニングができたりするグラスが開発されることで、あたかもそこにあるようにバーチャルなオブジェクトを見ることのできる環境が生まれつつあるのです。そうしたデバイスの進歩と同時に、プログラムに対する進歩も目まぐるしく進んでいます。AR体験をより充実させるソフトウェアの在り方として注目を集めているのが、ARクラウドという概念です。
ARクラウドとは
ARクラウドとは、「立体的なデータをリアルタイムに読み書きできる技術」の総称です。現実世界に対してユーザーがリアルタイムにデータを書き込み、またそれを別のユーザーも読み込むことができる技術をARクラウドと呼びます。データにはテキスト、画像、映像、音声などさまざまな種類のものが含まれます。ARクラウドが実現すれば、現実世界の状況が常に変化しているのと同様、変化し続けるデジタル情報をその場から読み取ることができるようになるのです。また、そのデータはその場所に保存しておくことができるようになります。つまり、それぞれのユーザーがその場所に対して行なったアクションを通じて、流動的に情報が変化するようなプログラムを作ることもできます。こうしたARクラウドが実現すれば、ARは更に私たちの想像する拡張された現実感へと近付いていくことでしょう。
ARクラウドでできること
ARクラウドの技術が発展すれば、これまでAR体験でなしえなかったことをできるようになります。
インタラクティブかつマルチなAR体験
例えば、ARアプリを通じて、ある観光スポットの付加的情報を見ることができるとするでしょう。このナビゲーション的な情報が出ることは既存のアプリでも対応可能です。ARクラウドが実現すれば、この情報がユーザーの好みに応じて変化したり、友だちが以前訪れたときのコメントを確認したりすることができます。インタラクティブであることは、ゲームコンテンツなどの要素にも変化を与えるでしょう。マルチプレイの際にお互いの与えたダメージや攻撃をリアルタイムで見ることができたり、コメントで戦略を立てながらボス戦を仕掛けることができるのです。また、SNSの情報は現在デバイス内のタイムラインに時間軸に沿って表示されますが、ARクラウドがあれば、位置情報に付属したタイムラインを確認することができるでしょう。それぞれのスポットに対してユーザーが残したログをチェックし、「いいね」を残すことが日常になるかもしれません。
ARに足りていないのはソーシャルコンテンツ
現在、ARは様々な領域で興味深い技術として受け入れられていますが、これまで爆発的に広まったスマートフォンやSNSなどの概念に比べれば、未だ普及していないカテゴリのひとつと言えます。その大きな課題となっているのが、ソーシャルコンテンツの不足です。これまで、ユーザーの心を動かしてきたデジタルコンテンツの多くは、現実世界よりも多くの人と触れ合い、体験を共有できることが魅力でした。しかし、ARコンテンツは単独での体験しかできません。どんなに素晴らしいコンテンツをそこに見たとしても、同じものを他のユーザーと共感することができないのです。こうした課題を解決する意味でも、ARクラウドは役立つと考えられています。
ARクラウドの仕組み
①ポイントクラウドの生成
(Image:Blue Vision)
ARクラウドを実現するために必要なのは、現実世界に即した座標軸に打たれ、かつ共有可能なポイントクラウドです。X、Y、Z軸それぞれから取得した点が現実世界の建物やオブジェクトの状況を浮かび上がらせる点群が、全世界分存在し、全ユーザーで共有できる。そんな巨大なデータベースを実現すれば、ARクラウドが実現し得る第一歩を踏み出せます。
②正確なポイントクラウドの取得
そして、そのデータベースを様々なデバイスが多角的に参照したときも、正確にその座標軸を読み取れる技術が必要です。実際に存在するものもそうですが、対象物を視認するとき、その対象と自分の距離や角度が違えば認識の仕方も変わります。例えば、デジタルデータであるソファを部屋に表示させるとき、横から見たときと前から見たときに見えるものは変わるでしょう。あるユーザーが横から、別のユーザーが前から見たとき、それぞれに適したデジタルデータを表示させることができるようにならなければ、ARクラウドの体験は実現しません。
③リアルタイムでデータ読み書きができる回線
こうしたインタラクティブな体験を実現させるためには、高速回線を用いて絶えず情報をアップデートできる環境が必要です。ここに関しては、5G回線が今後普及することで実現し得ると言われています。
ARクラウドの仕組みのまとめ
ARクラウドを簡単にまとめるならば次のような仕組みといえるでしょう。まず、現実世界のあらゆる起伏を座標軸で捉え、巨大なデータベースを構築します。そのデータベースを複数のデバイスが共有し、正確にポイントクラウドを捉えることで、それぞれのデバイスが配置されたオブジェクトを読み取ります。そして、読み取ったオブジェクトに対してそれぞれのユーザーが起こしたアクションを、データベース上に保存し、各ユーザーのデバイスがそのデータをリアルタイムで更新します。これらの技術を支えるのは、ポイントクラウド群を保有するデータベース、正確なデータ読み取りを実現するデバイス、そしてデータの読み書きを絶え間なく行なえる高速回線です。
ARクラウドの課題
こうして説明すると、ARクラウドの技術は具体的で、実現の可能性も高いように感じるかもしれません。しかし、ARクラウドを実現するためには、まだ解決できていないいくつかの課題があります。
屋内外のデータ取得方法の差と統合の必要性
ARクラウドの要となるポイントクラウドの取得に関して、主に屋外の用途が多いですが車両などを走らせLiDAR SLAMを利用するライダーベースと呼ばれる手法や、ARアプリ経由でVisual SLAMを活用しデータを取得するビジュアルベースと呼ばれる手法があります。ビジュアルベースは主に屋内の用途で使われることが多い手法です。屋内に関しては深度センサーを活用することも比較的多いです。これらの手法で取得されたデータは統合する必要があるため、屋内外のデータを全てまとめたポイントクラウドのデータベースを作ることが難しいのが現状です。
ポイントクラウドの権利関係やプライバシー問題
ポイントクラウドは今後ARクラウドを支える重要なデータである一方、誰が権利を持つものかという点ではまだ法整備やルールが整っていません。例えば、マンションの一室のポイントクラウドを取得した際、隣室と接している壁面のデータは、必ずしもそのデータ取得した人に権利があるものとは言い難いでしょう。また、ARグラスが普及したとき、それぞれの人が見る視界に映るデータはプライバシーが守られるのかという問題もあります。自分の部屋でAR体験をするぶんには問題ありませんが、他人の部屋でAR体験をするとき、その部屋の情報を取得しなければオブジェクトの配置はできません。空間の権利関係を明確に区別するのは極めて難しく、ARクラウドの場合、その範囲は極めてプライベートな部分にまで及びます。こうした諸問題に対して、グローバルな統一見解がないまま開発が進んでしまえば、今後様々なトラブルを引き起こすでしょう。
社会がARクラウドの技術を認めるかどうか
ARクラウドに関わらず、多くの新しいテクノロジーは人々の生活に大きな変化をもたらしてきました。それは時に、今まで育まれてきた常識や倫理観を崩すものであったり、抵抗感のある文化を生み出すものであったりします。例えば、カメラ付スマートフォンは今でこそ一般的ですが、発売された当初は盗撮を懸念する批判の声が大きく上がりました。各社は撮影時に必ずシャッター音が鳴る機能を約束することで、パブリックな場で望まない撮影をされる人が少なくなるよう配慮しました。スマートフォンの普及は私たちの生活を大変便利なものにしましたが、一方で「歩きスマホ」などの社会現象が起き、事故につながるリスクも高くなっています。こうした一例と同様に、ARクラウドもデータの在り方を激変させることになります。先述したように、望まない形でARグラスを装着した人の見た周囲の世界がシェアされるかもしれませんし、ARコンテンツに没入したユーザーがパブリックな場で危険な行動を起こすかもしれません。ARクラウドが今後スタンダードなものとして広がっていくためには、こうした諸問題に対してARクラウドを開発するメーカーがどのようなポリシーを作り上げていくか、あるいは各国がどんなルールを制定していくかが重要です。日常の安定性を保ちながら、ユーザーがARクラウドの利用方法を学び、生活になじむ形でARクラウドを成長させていかなければなりません。
ARクラウドの事例
ARクラウドの事例自体は多くありませんが、ARクラウド開発に取り組む企業が出しているリリースからは、ARクラウドの将来性を感じられるものが多く見受けられます。
6D.aiの空間認識技術
(Image:6D.ai)
オックスフォード大学の学生によって創立されたスタートアップ企業から生まれたサービス「6D.ai」は、スマートフォンの単眼カメラで3Dモデルのオクルージョンを実現させたり、複数ユーザー間での同じオブジェクトの認識、出現させたオブジェクトの永続的な配置ができたりするとのことです。具体的には、スマートフォンのカメラを覗きながら転がるボールの3Dモデルを空間に配置してみると、その部屋にあるデスクから転がり落ちたり、置かれた椅子の奥にあるボールは視界から見えなくなったりするということです。6D.aiを使えば、技術的な課題のひとつであるポイントクラウドの創出と複数ユーザーでの認識については条件がクリアできるでしょう。
Blue Vision LabsのAR Cloud SDK
開発者向けのARクラウドツールも提供されています。Blue Vision LabsのAR Cloud SDKは、複数ユーザーが同内容のAR体験を共有できるサービスを簡単に作ることができるよう作られたツールでした。同社は2018年米国の配車サービスを手がけるLyftに買収されており、今後は車のフロントカメラを利用した屋外ポイントクラウドの自動取得とそのポイントクラウドの販売というビジネスモデルのなかでその技術が生かされることが予想されています。いずれにせよAR体験を共有すること、それを提供するためのアプリを作るツールはすでに形になってきつつあり、今後それを享受することのできる開発者が多くなっていくことが期待されます。
プレティア・テクノロジーズのARクラウド
(Image:プレティア・テクノロジーズサイト)
日本国内の企業でも、ARクラウドの開発が進んでいます。プレティア・テクノロジーズはAR謎解きゲームを事業の主軸として展開する企業で、「サラと謎のハッカークラブ」というオリジナルコンテンツを基軸に、街全体を歩きながら楽しめるARコンテンツの提供を実施しています。プレティア・テクノロジーズはそのバックエンド技術となるARクラウドの開発にも積極的に取り組んでおります。例えば、多数プレイヤーが同時にインタラクティブに参加するコンテンツなど具体的なシーンでの利用を想定したARクラウド開発に積極的です。コンテンツ開発とARクラウド開発双方に力を注ぐ企業は珍しく、ビジネスモデルに即したワンストップでの開発とサービス提供を行っています。
2021年3月にARクラウドプラットフォーム「Pretia」のオープンβ版を開発し、事前登録を開始しました。(プレスリリースはこちら)
Pretiaは、AR開発者のコンテンツ開発を支援するプラットフォームで、セットアップが非常に簡単・多人数共有機能が充実していることが特徴です。そのため、従来開発が難しかったロケーションベースのマルチプレイ体験などのコンテンツを、煩雑なバックエンド開発を行う必要なく、より手軽に開発することが可能になります。
リリースを前に、今後の動向に注目が集まります。
(ARクラウドプラットフォーム「Pretia」公式サイトはこちら)
ARクラウドプラットフォーム「Pretia」のオープンβ版事前登録を開始
ARクラウドがもたらす大きなインパクト
数々の課題は残されているものの、ARクラウドが実現すれば、私たちの生活には大きな影響があるでしょう。今までモニタ上でしかアクセスすることのできなかった情報が各地点に配置され、場所やユーザーにとって最適化された情報が空間に出現するような世界観が実現できます。こうした体験は、まさに近未来的な作品に描かれた技術とほぼ同様のものであり、ARクラウドが普及することで、私たちは多くのエンターテインメントや効率的なサービスを享受することができるでしょう。
今後ARクラウドが進んでいくためには、技術面はもちろん、法整備やユーザーリテラシーの浸透など、あらゆる点で各企業や各国が協力し、お互いの力を出し合っていく姿勢が鍵を握ります。そして、2020年はあらゆるARグラスや、プレティアのARクラウドなど、様々なAR関連のリリースが相次ぐ予定です。どのような変化が起きるのか、今後もその流れをチェックしていきましょう。